Friday, October 31, 2008

イヂチアキコ (Akiko Ijichi)


イヂチアキコ (Akiko Ijichi)
国際幻想芸術協会所属の画家。

アーティストに作品の使用についての問い合わせをした際にアーティストにいくつかの質問をすることがある。それはそのアーティストのプロフィールに関することであったり、作品を見て思いついた疑問、影響を受けたアーティストのことについてだったりするのだけど、イヂチアキコには思い切って4つの質問をしてみた。

1つ目は、作品を見ていて児童文学やファンタジーの微かな匂いが感じられたので、その点について尋ねてみたところ、児童文学を特に意識して読んだりすることはあまりないのだけど、サン=テグジュペリの 『星の王子様』 と宮沢賢治の作品のテーマには惹かれるものがあり、特に 『星の王子様』 は自分にとっては大事な作品であるという回答を頂いた。なんとなくイギリスやドイツの児童文学などが作品を描くときのインスピレーションになっているのではないかと思っていたが全然そういうのとは関係がなかったみたいだ。
イヂチアキコが児童文学やファンタジーの代わりに好んで読んでいるのは詩だそうで、中原中也と萩原朔太郎は特にお気に入りの詩人なのだとか。ほほう、チューヤとサクタローか。想像もしていなかった答えが返ってくるとなんだか嬉しい。これがきっかけで、長年手にすることもなかった中原中也と萩原朔太郎の詩集を掘り出してパラパラと拾い読みしてみた。ボクは詩心がないタイプで、昔っから詩を読んでもチンプンカンプンなんだけど、久しぶりに読んだ萩原朔太郎の詩は心地よかった。


次の質問はボクの質問の中では定番となっている影響を受けたアーティストは?というもの。アーティストの作品を見て影響の流れが見えてくる場合もあれば、まったく見当が付かない場合もある。イヂチアキコの作品の場合は、さっぱり見当も付かなかったので、どういう回答がもらえるのか少し楽しみにしていた。そして頂いた回答は次の通り。

自分と同じ世界の作品から影響を受けることよりも他のジャンル、例えば音楽であったり、舞台であったり、ダンスであったり、とにかく自分では表現できない他ジャンルのクリエイティブな作品に感銘を受けたり影響を受けたりすることが多く、そういった他ジャンルで活躍する人のハッとするようなスキルを見せ付けられると触発されるのだそうだ。
また、絵を描くという作業は、個人作業がほとんどであるため、オーケストラの様に多人数によって編成された集団がひとつの作品を生み出すそのエネルギーには圧倒されて感動を覚えるし、そういった作品を生み出すオーケストラのメンバーには尊敬の念を抱くとのことだった。
要するに、あまり絵画系のアーティストからは影響を受けていないということである。
う~ん、なるほど。


イヂチアキコが趣味のひとつとして音楽鑑賞を挙げていたことと関わりなく、その作品を見ていると音楽を聴きながら作品を制作しているという感じがした。実際のところはどうなのか、もしそうであるのなら、どういった音楽を聴きながら作品を描いているのか興味があったので、その点についても質問をしてみたところ、製作中は音楽を必ずかけていて、Hip-Hop 以外なら何でも聴くそうで、基本的には洋楽中心とのことだった。ボクの推測した通りだったので、思わずニヤリとしてしまった。他にもクラシック、菅野よう子や書上奈朋子、J-POPなど雑多に広く浅く聴いているのだけど、自分の好みであった音を奏でてくれるミュージシャンや独自の世界を持っていると感じられるミュージシャンが好みとのこと。最近は藤井麻輝と芍薬のユニット睡蓮がへヴィローテーションだとか (といっても、このメールをやり取りしたのが初夏のことなので、現在は多分また別のミュージシャンがへヴィローテだと思われる)。
作品のイメージからクラシックとか、French Pop 好きなイメージに見られることが多いそうで、ボクもそれに近いイメージを持ってこの質問をしている。実際にはスマッシング・パンプキンズ (The Smashing Pumpkins) が大好きで、気を引き締めたりテンションを上げて仕事に取り組む場合には、スマパンなどのオルタナ系を聴くのだそうだ。洋楽ならイギリスのインディ系を聴いているのかなと思っていたので、スマパンが好きというのが意外な答えだった。
スマパンについては、その怒りをぶちまける様な激しいサウンドと人間の内面の孤独や葛藤を繊細な美しい音とが同時に表現されるところやビリー・コーガンの才能の素晴らしさには常に感銘を受けていて、彼らの音楽を聴くとイメージが浮かぶことが多々あるのだそうだ。
最初はイヂチアキコの描く作品とスマパンの曲という組み合わせが意外だったものだから、両者の作品からイメージされるものがボクの中で上手く結びつかなかったが、メランコリー (melancholy) というものを間に置いてみると途端にスッキリと両者が繋がった。スマパンにはなんといっても 『メランコリー (メロンコリー) そして終わりのない悲しみ "Mellon Collie And The Infinite Sadness"』 というアルバムがあり、イヂチアキコの描く女の子たちは皆一様にメランコリックな表情を浮かべている。そう、よくよく考えてみたら、イヂチアキコがスマパンから感じ取っていた怒りや激しさ、人間の内面の孤独や葛藤、そして繊細な美しさというものはどれもイヂチアキコの描く女の子に当てはまるものばかりなのだ。
あまりに短絡的な捉え方かもしれないが、中世の占星術的に言えば、イヂチアキコもビリー・コーガンも土星の影響下にある表現者ということになるのだろう。


統計を取ったりしたことがあるわけではないのでただの印象でしかないのだけど、少女をモチーフにしている女性アーティストと少年をモチーフにしている男性アーティストの数を比べた場合、圧倒的に前者のほうが多いのではないだろうか。これまでもこのブログで少女をモチーフに作品を制作している女性アーティストを何人もポストしたきた。ボクは多くの場合そういった女性アーティストを少女を距離をとり対象化して作品を制作するタイプと少女に自らを同一化して作品を制作しているタイプといった具合にふたつのタイプに分けて理解する。
少女をモチーフにしている女性アーティストの中には、なぜ少女なのか?ということをテキストとして公開している人もいて、そういったものは読んでいて興味深いものが多い。
日本の女性アーティストにももちろん少女をテーマに作品を作り続けている人が多くいるので、あなたにとって少女とは何なのか?ということを尋ねてみたくなることがあるのだけど、なかなか質問する決心が付かずにいた。だからこのエントリの最初の方に、イヂチアキコには思い切って4つの質問をしてみたと書いたのは、これは不正確で、正しくは思い切って4つ目に 「あなたにとって少女とは何なのか?」 という質問を加えてみた、ということである。

「自分自身が女であるということもあって、少女を描くということはもちろん自己の投影である側面もあると思うのだけど、作品を制作していくうちに 「人間の内面」 を描いているんだという側面のほうが強く感じられるようになってきます。
家庭環境や人間関係といった小さな、でも女の子にとってはとても身近で影響を受けやすく傷つきやすい世界やもっと大きな社会との関わり、そういった世界の中で痛感する人の非力さ、迷いといったものが女の子を描くことで自ずと表れてくると言ったらいいのでしょうか。
でもフラジャイルな存在であったとしても生きている訳ですから、どんなに傷つき辛くても生き抜く道を探している。
私の描く女の子が不安や悲しみの表情を浮かべ物憂げな目をしていても、すっと前を向いているのは、遠いどこかに光る何かがあることを知っているからだと思います。
ですから、あの女の子たちは私であり、あなたでもあると言えるのかもしれません。」

先にイヂチアキコについて、土星の影響下にある表現者ということになるのだろうと書いたのだが、「あなたにとって少女とは何なのか?」 という質問への回答を読むと、これが的外れな見方であったということが分かり、訂正を迫られる。さて、何と訂正すればよいのだろうか。

ポストした作品のタイトルは、

"Bianka"
"Breakfast"
"私の中の悪いもの"
"二枚舌"

Education:
2003 女子美術大学絵画科日本画専攻卒

Home - akiko-ijichiweb Jimdoページ
屋根裏部屋
MySpace


読み込み中
クリックでキャンセルします
画像が存在しません

No comments:

Post a Comment